2012年02月13日

就活生に

あくまで、私の感覚と、印象の話ですが

ちきりんさんの「自分のアタマで考えよう」を読了しまして
そこで就活について言及されている部分があったので、そこの意見を元に
ざくざくっと紹介します。

気になる就活生はこれの7章だけでも読んでおくことを薦めます^^。

自分のアタマで考えよう [単行本(ソフトカバー)] / ちきりん (著); 良知高行 (イラスト); ダイヤモンド社 (刊)


本読んだ私のざっくり紹介。

就活に「失敗した!」と感じた人ほど、自分の趣向がわかる。

逆に言うと働いてないのに自分の価値観など細かくわからない。

例えば学生が多く言う(と思われている)ことに、

●社会の役に立ちたい
●成長したい
●会社選ぶため売上、利益を見てます

・・・・
とかってあると思うのだけど、

じゃあ、それって本当に就活に会社選びに役立つの?ということ



●社会の役に立ちたい

→役に立たない仕事なんてあるの?、

●成長したい

→1年目で一生懸命やって成長できない仕事なんてあるの?


●会社選ぶため売上、利益を見てます

→「利益が○%以上だったら働きたい」とかそんな趣向の持ち主なの?



、ってことで全部ナンセンス。


(ちきりんさんは趣向ではなくフィルターって言葉を使ってますが)


要するに学生が考えているほど、仕事はざっくりしたものではなくて、

もっと細かい箇所で自分の譲れない箇所が出てくる。
私の経験こんなのが気になることもあるかなー
→スーツは嫌だとか、メールをもっとフランクにしたい、とか上司の口が悪いとか、仕事のサイクルが早過ぎるとか、作業しかしてないとか、考えることが多い(企画とかマーケティング?)とか、動くのがいいか、動かすのがいいか・・・とか

紹介されているフィルター→成果が現れるまでの期間、ひとりかチームか、狭く深くか広く浅くか。
とかね。

そして、ともかくそういうのって働いてみないとわからないところ(だからインターンとかバイトとかで自分の「好き嫌い」を知ること)だし、


あーここ間違えたな!って経験を最初にしておけばそゆとこ(自分の好き嫌いが)明確になる。


だからむしろ最初なんて就職先間違ってもいいーんじゃなーい。(っていう私の無責任(笑


ということ。

もっともっと細かく考えて、自分はどこでどんな風にどういう人達とどんな風に過ごして、プライベートではどこでどんな人達とどんな風に生活していたいか、を考えなさいってこと。


でもこれは働かなきゃわからないと思うなぁ。・・・・ってことで堂々めぐり(笑)


ともかく、就活時期ですね。
修正は可能だし、修正した後のほうが精度良いので、気長にがんばってくださんし^^。

応援してます。

私も好き嫌いしっかり見つめながら仕事したいですね。
posted by ゆっぽん at 18:23| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月12日

時間と汗と知性と道具

今回、自分にマイナス的なことを書きますが・・・。
仕事観、人生観に通じることなので、公開してしまいますね。



最近は仕事でうーんとなることも多い。
(歯ぎしりとかしてるし目の下のクマとかでてきたしハゲやしないかってちょっと本気で思ってるのよ?(笑))


そこではてなブックマークでも人気なこのエントリーと出会う。

僕は自分が思っていたほどは頭がよくなかった - しのごの録

この中の返信の中に

君がAをとったのは、君が勉強をしたかあるいは授業内容が簡単だったからです。君がBをとったのは、おそらく、どうやって扱ったらいいのか分からないことや、そう簡単には腑に落ちないようなことをすぐ理解してしまうのに慣れすぎたからだと思います。思うに、君は早いうちに認知と知性に関する道具をつくり上げて、新しいことを身につけたり処理したりということを素早くできるようになったのです。でも、あまりにもそれに頼り過ぎてしまって、それだけでは対処できない事態に必要となる、ちゃんとした道具一式を全く発達させなかったのです。私がそうでした。でも、大学一年の一学期に壁にぶつかるまではそれに気づきませんでした。君に質問があります。だれか今までに時間をかけて勉強の仕方を教えてくれた人はいますか?それとは別に、先生やカリキュラムなしで自分自身で勉強する方法を君は学んだことがありますか?これらは習得することのできる最も重要な道具です。なぜなら、この道具を使って、さらに強力でさらに遠くを見通すことのできる道具をつくることができるからです。それがだた雪だるま式に大きくなることで、Rのようなひとになるのです。


MITを卒業するのに失敗する人というのは、入学して、いままでに経験したなによりも難しい問題に遭遇し、助けを求める方法も問題と格闘する方法も知らないために燃え尽きてしまうのです。うまくやる学生はそういう困難にぶつかったとき、自分の力不足と馬鹿さ加減に滅入る気持ちと闘い、山のふもとで小さな歩みを始めます。彼らは、プライドに傷がつくことは、山頂からの景色を眺めるためであれば取るに足らないということを知っているのです。彼らは、自分が力不足であると分かっているので助けを求めます。彼らは知性の欠如ではなく、やる気の欠如が問題だと考えます。私は、やる気をみつける方法を教えてくれる人と出会えて幸運でした。インターネット上でできることは小さなものですが、私があなたに対してその役割を果たすことが出来ればと願っています。


君はとても若い。頭があんまり良くないのではなどと悩むには本当に若すぎる。年をうんととってボケ始めるまでは、「頭がよく」なるチャンスはあるのです。括弧付きで言ってみたのは、「頭がよい」というのは単に、「とても多くの時間と汗を費やしたので、難なくやっているようにみえるまでになった」ということを言い換えているに過ぎないからです。君は、自分は燃え尽きてしまった、あるいは、燃え尽きてしまうかどうかの岐路に立っているという風に感じています。でも実際には、燃え尽きることにするかしないかを決断する岐路に立っているのです。これが決断であるということを認めるのは怖いことです。なぜならそれは、君にはなにかをする責任があるということですから。でも、それは力が湧いてくる考え方でもあります。君にできるなにかがあるということですから。



ここらの部分。


最近できていない(とはっきりと自覚した)、対人への交渉だとか、コミニュケーションだとかに置き換えて考えて納得してしまった。

考えてみれば

僕は今まで、自分というモノを考えることは多分多くやっていて、自分についてだとか人生についてとか
(恋愛についてとか)もしくは、自分と親しい人の間柄について考えることはあった。

そして、大学受験くらいまでのいわゆる「お勉強」なんかもそこそこのレベルではあるが
それでも周りの人よりかできていることはよくあった。

それはそういった、「自分について」だとか「お勉強」について、(引用文からひっぱると)認知と知性に関する道具をつくり上げて、新しいことを身につけたり処理したりということを素早くできた

からだと思う。
そういうことは苦がなくできていたのだと思う。

問題なのはここからで
例えば「他人について」「他人に認めてもらうために」「研究」などにおける自分はどうなのだろう。
(引用文からひっぱると)あまりにもそれ(上記)に頼り過ぎてしまって、それだけでは対処できない事態に必要となる、ちゃんとした道具一式を全く発達させなかった。
のだろうと思う。


だから(またしても引用文よりひっぱると)
いままでに経験したなによりも難しい問題に遭遇し、助けを求める方法も問題と格闘する方法も知らないために燃え尽きてしまう、

可能性も十分にあるのだと思う。
自分には可能性がないから・・・、向いてないのかな・・・と思えばそこで終了だったでしょう。



でもそれは
(引用文より)
君はとても若い。頭があんまり良くないのではなどと悩むには本当に若すぎる。年をうんととってボケ始めるまでは、「頭がよく」なるチャンスはあるのです。括弧付きで言ってみたのは、「頭がよい」というのは単に、「とても多くの時間と汗を費やしたので、難なくやっているようにみえるまでになった」ということを言い換えているに過ぎないからです。

ということなのだとこの文で思い直すことになりました。


例えば、僕はね

おそらく「自分のこと」で悩んでいる人の相談には多分うまく乗れる、気がする
どう感じているか、何を考えているか、そういうこと考えるのは
先に出たように、素早くその感覚というか、認知と方法論を持っている気がする。
今まで、考えぬいて全部がどうでもいいやーと思えるくらいな感じはしてる。

でもね、「他人のこと」に悩んでいる人の相談に乗れるかと言ったらわからない気がする。
わかってもらうには、とか相手のために、とか
そういう感覚、認知、方法論は全然道具として発達してないし、道具一式何もない。
だから他人のことどうでもいいやーって思えてないの。

※物事を考えぬくとその物事はどうでも良くなるっていう説に基づいてます(笑)。


だから仕事の交渉ごとでも、今、全然ダメ。
全然「どう相手に認めてもらうか」考えられていない。

でも、それは、「とても多くの時間と汗を費やしたので、難なくやっているようにみえるまでになった」
レベルまでいってるかどうかの話だと。

僕は「自分のこと」に時間と汗を費やした(し、比較的方法もわかっているから)からそっちはわかれども
「他人のこと」について時間と汗の費やしが足りていないのだと、そこが確立できていないんだなと
思った。

だからま、やるべきことは「くじけずにがんばれ」ってことになっちゃうんだけどね。




確かに、僕の根底には「気の進まないことはやらずに生きる」的なものがあって
苦手なものをやる(続けている)と本当に好きなものに時間が割けなくなっちゃうってもったいない!
って考え方があるから
ある意味こういった考えとは矛盾する。

自分が知らずにできてること伸ばしていけばえーやん!って思う。
中には私の逆で
例えば、「接客が大好きで」「ありがとうと言われるのが生きがい!」なんていう
私には(理解はするけど)考えられない生き方をしている人だっているのである。
世の中そうやって成り立ってんじゃん!!っても思う。

でもこの文にあることも、説得力があって
(かつ、今弱っている自分に)そうかぁ・・・なら希望が見えるかなぁとも思う。

結局は、すべてが自分のベストになるように間違えずにすべて選択出来るかといえば
そんなことは限りなく難しいのだ。

で、僕は今ここにいるのであって、ここで結果を出したいと思っているわけであるから
0から道具一式を揃えて、道具にしようと思う。


(でも根底に流れているものはあるから、将来的にはそっちの方(「自分について」とか)で生きていった方が、楽だろうし、楽しそうだし、しっくりくるだろうとは思う。
芸術方向とかプロデューサーとか脚本家とか(昔から占いでよく言われてるから!(笑))
で、将来的には生きていくんじゃなかろうかと・・・(笑))


というね、悩みながら少し考えたお話。
なかなか、社会人になってから考えることってあるのよね。
すごく一方的ですが何をどう感じているか伝えていければなと思います。



今まで考えてこなかった(知らずに逃げてた分野だった)から。
でもそれだけ。できないのだ、当たり前だ。
くじけず、馬鹿さ加減に滅入りながら、時間と汗を費やそう。



最終的には楽しく生きるけどね。

1日1日。
posted by ゆっぽん at 22:52| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月24日

本末転倒。

クリスマスっていうのに何をやってるんでしょうかね・・・私は・・・(笑)
まぁ毎年こんなものです。


さて、
最近読んだ日経MJに久しぶりにちょっと顔をしかめるような記事が出てまして。

スーパーの被災地消費支援が一服する。

という記事だったのですが。

つまり、農産物なんかに対して放射線の心配もあり、4月かなんかに比べると
被災地を応援しよう!なんていうキャンペーンでは、お客さんが買ってくれない・・・消費が鈍った・・・
というスーパーの記事です。
「飽きられたのかも・・・」なんて言ってるスーパー関係者の話もあり、
一部大手を除くスーパーはそういったキャンペーンを終えてるみたいです。

そこに比べて
ヨーカドーなんかのセブン&ワイでは、継続的な支援が必要だという認識のもと2014年まで継続して行うことを発表されてますね。


セブン&ワイさんを除いた上記のような話があって、結構頭にきました。

前に、現地の人のブログで

何が被災地応援だ!結局はお前らが儲けたいだけだろ!

とか主張されているのを読んだことがありますが
僕はその時は、そう思わなかった(思いたくなかった)
結局はそれが回って、被災地支援にもなるのだから。

でも、今回のこの記事で、
あーほんと自分たちのことしか考えてないのね・・・とショックを受けてしまった。

そんな気持ちで被災地支援をしていたのかと思うと、ほとほと嫌になります。
(かと言って僕も偽善の押し売りをしたいわけじゃなく、気持ちが大事だ!なんて言いませんが。)
ただ自分たちの売上のための手段だったことがわかっちゃいますよね。


じゃあ、儲からなくても根性で被災地支援すればいいの?
とは言いますが、それも違います。
スーパーだって生活がかかってるんですから、そんなことするのはプロ失格です。

僕がそういった仕事に関わっているから思うのですが
被災地支援も売上もどちらも確保してこそ、だと思うのです。

被災地支援で売上をあげよう!なんて誰でも思いつきますね。
でも、その後の飽きられた後、じゃあどういうアプローチで支援&消費を守っていくか
がプロのやることじゃないのですか。

「飽きられた」の一言で片付けられると思ってるんですか。
飽きられたら終了ですか。じゃあ車ももう飽きられているので終了しますか?
しませんね。
(だから必ずしも小売だけのせいではなく、生産者側も頭を使わないといけないのだけどね)

どっちも誰もがwin-win-winの関係を導き出すのが
僕らの手法なんじゃないの、と思うのです。
それが僕の目指すべき「広告的手法」だと思うし
そういうことができるように日々仕事をしてるんだと思うのに!

なんだかやるせなくなってしまいました。

被災地支援をしよう!なんてキャンペーン張っている時点で
わー、いいことだーとかのんきに思ってないで、次のここまで想像しておかないといけなかった。
直接的にこういう案件はないけれど、頭を使っておかなければいけなかった。
と、反省。


それができてこそプロなんだ、と。
頭を使え。

今回の記事だって、ただの批判で終わるな、俺。
頭を使え。人を救え。

そのために仕事してるんだから。
そういうことができるようになるために仕事してるんだから。

アプローチの仕方、ものの見方で世界が変わることに希望を見出しているなら。
考えろ。


と思ったクリスマスイブ。
posted by ゆっぽん at 15:18| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 企画・イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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